[5日目]「再考」について
「熱湯が入った鍋にカエルをいれるとすぐに飛び出すが、ぬるま湯に入れて少しずつ加熱すると気がついた時には手遅れになる。」
このカエルの問題は「状況を考え直せない」ために手遅れ(死ぬ)になるまで気がつかないことにあります。
この茹でカエルのたとえが教えてくれることは「考え直すことの大切さ」についてです。
今回は、自分の人生の行動指針である「再考」についてまとめてみます。
この話から学ぶこととして、このゆっくりと茹だる鍋はこの人間社会のいたるところに存在しているということ。そして、危険を認識し損なうのは「状況を考え直そうとしないから」であるということです。
日常生活の中では常に考え直すことは難しくないと思います。髪型、衣替え、部屋のリフォームなどの比較的簡単な---労力や時間のかからないものであればあるほど、容易に変えることができます。
その一方、目標やアイデンティティ、習慣のことになると人は頑なに現状維持しようとします。
これは、立場固定バイアス(人間の思い込みの一種)という「人間はなんでも合理化したがる生き物で、自分の信念を正当化する」性質を持つからとされています。
自分の過去、努力してきたことが無意味で、間違っていて、人生のうち何年かを無駄にしたかもなんて...大抵の人は認めることができないですもんね💦
この「考え直せない」問題の怖いところは、知能が高い人、優秀な人ても陥る可能性があること。年齢が上がるほど、社会的立場が上がるほど危険性が高まることにあります。
英雄的粘り強さは時として、愚かな頑固さになるということです。
自分の過去やってきたことに自信を持つのは良い事ですが、その過去の実績だけを頼りに生きると大変なことになります。
また、私たちの文化はしばしば「頑張ること」を称揚し、「やり抜くこと」を信奉します。
「頑張る」「やり抜く」こと自体はとても大切なことですが、考え直すことなく思考停止になる。解けないパズルでも挑戦し続けるような状況になる場合もあるということです。パズルでは死ぬことはありませんが、状況によっては茹でカエルのように取り返しのつかない悲惨な結果に行き着く場合もあります。
この話で新しい発見があったこととして「目標」を立てるだけでは危険ということ。目標のせいで視野が狭まり、状況を考え直すことが出来なくなる危険があることに気がつきました。
このことから、「目標」を立てると同時に「制限時間」も設けるようにしています。
また、思い込みに囚われないようになるべく使わないようにしている言葉があります。
「当たり前」「全部知っている」「完璧」「絶対」「間違いない」「普通」...
この言葉を使っているともう学ぶ必要がないと無意識に感じてしまい、自ら学習の機会を失う危険があると考えています。
とにかく大事なのは「狭い一本道に固執せず目標を広げられる柔軟さを持つ」ことだと私は思います。
ここまで読んで気づいている人は多いと思いますが、これは企業の経営者が陥る落とし穴のひとつでもあります。
劣るリーダーは批判を潰すことで力を失っていく一方、優れたリーダーは批判を受け入れて力をつけていく。
自信に満ちた謙虚な姿勢、答えを全部知っているふりをしない、「分からない」と認めることができる人はいつまでも成長し続けるのではないかと思います。
自分なりの「頭の良い人」の定義として、
[自分の考えすら疑うことのできる人]のことを指して言っていますのでよろしくお願いします笑
とはいえ自分の場合はまだ自分の弱みに向き合いきれていない部分やプレッシャーが強くかかると視野が狭まってしまい、考え直せなくなる時が多々あります💦
だからこそ人生理念のひとつとして悩んだ時に[価値観リスト]を見直すようにしています。
こう考えると「常に考える」って言葉の中にも「再考」の概念が含まれていそうですね。
「再考」の概念は5年前から考えていたことなので、こんなに長文になってしまいました💦
今回は、自分の中でも大きく突き刺さっている名言で締めたいと思います。
多くの正しい判断ができる人は、よく耳を傾け、よく自分の考えを変える人だ。自分の考えを頻繁に改めなければ、間違うことが多くなる。ージェフ・ベゾス